カテゴリー「昭和60年代の花園」の6件の記事

2016年2月19日 (金)

ふろくで合格!

 2月も半ばを過ぎ、受験シーズンもいよいよ大詰めですね。試験を間近に控えたみなさんは、最後の追い込みに入っているのではないでしょうか。
 『りぼん』の昭和62年3月号に、そんな受験生の心強い味方となる“合格応援”ふろくが登場しました。

 写真左:お父さん 合格まねき猫
 写真右:シロちゃん 合格はちまき

 「ついに発明された合格まねき猫と合格はちまき! きみの力強い味方だ。しかし勉強しなくでも大丈夫だと思うな!!」と、まずこのコピーにいきなり喝を入れられてしまいます。

 「合格まねき猫」は、人気漫画『お父さんは心配性』の中心的存在“お父さん”がまねき猫に扮した、組み立てて机の上に置く紙製マスコットです。「受験生には強~い味方。でも、努力しないで合格しようと思っている人には、合格まねき猫はいじわる猫に変身するかも」の説明が。勉強に飽きてしまったときに裏面を見ると、「努力せずに合格しようなんてまだまだ甘い! 世の中はそんなに甘くないぞ!! さあ、勉強するのだ!! それっ! それっ!! さあ!! さあ~~~っ!!」という、漫画の強烈なキャラクターそのまま、お父さんからの叱咤激励があります。厳しさの中にも温かさが垣間見えるこの言葉を受けて、もうひと頑張りできそうです。

 「合格はちまき」は、“シロちゃん”のイラストがついた紙の輪っかを頭にはめるタイプのはちまきです。もちろん“合格”の文字が書かれていて、裏には自分の目標を書く欄もあります。シロちゃんの“魔法のおまじない”もついているので、目標をクリアするため前向きに勉強に取り組めることでしょう。

 少女たちからは、「合格はちまき、テスト前にはいつも使ってます」「そろばんの試験があるので、合格はちまきをまいて、まねき猫を机の上においてがんばってま~す」といったおたよりが届きました。

 紙で作られた雑誌のふろくだけれど、彼女たちにとっては、やる気を後押ししてくれる心強い存在となっていることに違いありません。

2015年9月25日 (金)

行列しても食べたい! あこがれ☆おやつ

 今でこそ店舗や種類も増えて、近場で気軽に食べられるようになった専門店のアイスクリームやクレープですが、日本に広まり始めたころは、子どもたちにとってはオシャレな大人のおやつ、憧れのおやつだったのです。

 昭和59年、東京・青山に「ハーゲンダッツ」1号店がオープンします。アイスクリームにフルーツソースやナッツ、カラフルなチョコスプレーなどのトッピングをかけるという、日本では新しい食べ方が話題となりました。翌60年には西麻布に「ホブソンズ」もオープン、どちらの店にも多くの人が殺到し、連日長蛇の列ができるという“アイスクリーム戦争”と名付けられるほどのブームが巻き起こりました。

 フランス発祥の洋菓子であるクレープを、持ち帰り専門として初めて日本で販売したのは、昭和51年に東京・渋谷にオープンした「マリオンクレープ」で、翌52年には原宿・竹下通りにも出店します。同年、同じ原宿・竹下通りに「カフェクレープ」がオープンし、アイスクリーム、生クリーム、フルーツの入ったクレープを原宿で最初に発売しました。ハンバーガーなどのファストフードがまだ出始めたばかりでもあり、専用の紙を巻いて包んだこれらのクレープは、片手で持って街を歩きながら食べてもサマになることで若者に人気となり、店には当然のように行列ができます。さらにテレビや雑誌で取り上げられたことで、原宿、特に竹下通りといえばクレープと言われるようにもなりました。

 もちろん、アイスクリームやクレープを食べたいという気持ちがメインだったとは思うのですが、若者にとってはお店に並ぶこと自体も楽しいファッションであり、マスコミで紹介された店や、青山、六本木、原宿というオシャレな街にわざわざ遊びに行くことが友だち同士の自慢にもなったのです。おやつ・お菓子においしく食べることだけでなく、ファッション性と希少性という付加価値をつけるのは、この時期のアイスクリームやクレープが始まりだったのではないでしょうか。 

 アイスクリームといえばホームランバー、ケーキなんて誕生日とかクリスマスとか特別なときにしか買ってもらえないし、原宿や六本木なんてどこにあるんだろう。でも、トッピングのアイスクリームやフルーツのクレープを食べてみたいなあ――
 こんな少女たちの願いに少しでも応えられるよう、アイスクリームやクレープをとりあげたふろくが登場しました。

 写真奥:じゃんぼアイスクリームBOX(なかよし 昭和63年7月号)
 写真手前左:愛すクリームシール(なかよし 昭和61年10月号)
 写真手前右:こんがりクレープギフト(なかよし 昭和61年10月号)

 「じゃんぼアイスクリームBOX」は直径約21cm×高さ約25cmのアイスクリームバレル型ボックス。「愛すクリームシール」はアイスクリームの香りつき。人気ショップ「ディッパーダン」「ロバーツ」「スェンセンズ」のロゴマークシールもあり、ちょっとだけショップでアイスクリームを楽しんでいる気分を味わえます。「こんがりクレープギフト」はチョコクレープの香りがついたギフトボックス。「これぞ原宿のかおり」というコピーからも、クレープが原宿の代名詞になっていたことがわかりますね。

 その後もティラミスやナタデココなどのオシャレなデザートや、並ばないと食べられない、手に入らないモノはたくさん出てきているのですが、自分にとっての“行列しても欲しい!”の原点は、やっぱり「ハーゲンダッツ」のトッピングと「マリオンクレープ」なのかもしれません。

 久しぶりに原宿に行って、クレープを食べたくなりました。

〈参考文献〉
『週刊日録20世紀 1985年・1986年』講談社 1998年
『週刊昭和タイムス 26号・46号』(株)ディアゴスティーニ・ジャパン 2008年
『Hanako 1989年10月19日号』マガジンハウス
「100年レシピ 至福のおやつ」読売新聞2014年8月7日朝刊

2015年9月24日 (木)

気になるカレとファミコンしたい!

 東京で大規模なゲームショウが毎年開催されるなど、今やすっかりゲーム大国となった日本。ゲームで遊ぶといえば、かつては数名集まって人生ゲームやトランプなどを部屋で広げていましたが、現在では一人一人が手のひらサイズのゲーム機を携帯し、好きな時間に好きな場所で気軽に楽しめるようになりました。
 その第一歩は昭和58年7月に任天堂から発売された家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」、いわゆる「ファミコン」の普及といえるでしょう。他メーカーの家庭用ゲーム機に比べて安価な価格設定で子どもにも手の届きやすかったことと、昭和60年9月に発売されたゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」のヒットによって、爆発的に売り上げを伸ばし「ファミコンブーム」を巻き起こします。さらにゲームの解説や裏ワザを紹介する“攻略本”や“必勝本”も次々と発売され、わかりやすくゲームを楽しむことができるようになったことで、子どもたちの間にも急速に広まっていきました。

 そして少女漫画雑誌でも「ファミコン」のふろくが登場します。当時はテレビゲームといえば、まだまだ男の子の遊びというイメージがあったのですが、少女向け雑誌でもとりあげられたことで、子どもの生活に「ファミコン」が完全に定着したことが見てとれるでしょう。

 写真上:別冊 MY LOVE COMICS『ファミコンまりクン』掲載号(ちゃお 昭和61年)
 写真下:ちゃめっこクラブスペシャル ファミコンゲームランド(なかよし 昭和62年11月号)

 『ちゃお』のふろくには、別冊まんがが1点のみだった時期がありましたが(15.新規参入-『ちゃお』の場合参照)、この「別冊 MY LOVE COMICS」で昭和61年5月~11月号の約半年にわたり、ファミコンゲームをテーマにした漫画『ファミコンまりクン』が掲載されました。ファミコンが好きだけど初心者レベルの主人公・まり子は、ファミコン熱中少年の桃くんと仲良くなりたいのですが、なかなか素直になれません。ある日、まり子は突然ゲーム画面の中に吸い込まれてゲームのキャラクターになってしまいます。体を張ってゲームを進めていくまり子は、果たして最後までたどり着けるのか、そして桃くんとの仲はどうなるの? というストーリーです。人気ゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」「マイティボンジャック」のプレイ画面を漫画にして、解説や裏ワザをコメント的につけることでファミコン攻略本として使える一方、ファミコンに興味がなくても、素直になれない女の子とついいじわるなことをいったりしてしまう男の子、そしてライバルの女の子も現れる、かわいい恋愛漫画を楽しめます。

 『なかよし』ふろくの「ファミコンゲームランド」は、「ファミコン好きな子もよく知らない子もみ~んなおまかせ」のコピーどおり、自分に向いているゲームがわかるチャートテスト、女の子のためのファミコンベスト10、ママのオススメゲーム、ゲームをするときの約束事と、ここまでは普通の初心者向けファミコンゲームガイドなのですが……
 それだけではなく、「男の子に急接近! ファミコンで遊びながらBFもできる、夢のようなテクニックをキミだけに」として、「わからないことは迷わずきいちゃおう。得意になって教えてくれるよ」「オモシロシーンのある格闘技ゲームを男の子と対戦すれば、ニコニコ気分でエキサイトできちゃうよ」などのアドバイスのほか、カレがハマっているゲームでみる性格診断や相性占いもあり、ファミコン大好き男の子へのアタック法も研究できてしまうのです。    

 どちらのふろくにも、ただ「ファミコンがうまくなりたい!」だけではなく、「ファミコン大好きな男の子と仲良くなりたい!」という気持ちが込められているところに少女漫画雑誌らしさを感じます。気になるカレがファミコン大好きなことを知り、ファミコンなんてやったことないしよくわからないけど、ファミコンができるようになって少しでもカレに近づきたいなと思う少女たちにとっては、ただのファミコン攻略本ではなく男の子の攻略本としても役に立ったことでしょう。表現はあまり良くないのですが、ファミコンをダシにして好きな男の子と共通の話題を持ち、一緒に遊べるようになりたいという願いに応えてくれたふろくでもありました。

 ファミコンの部分をスポーツや音楽などにも置き換えられますが、今までは興味がなかったことでも、好きな男の子の好きなことをもっとわかりたいな~っていうのはよくあることですよね。

 みなさんは気になるカレと、一緒にファミコンできましたか?

〈参考文献〉
『週刊日録20世紀 1985年』講談社 1998年
『週刊昭和 No.39』朝日新聞出版 2009年

2015年9月11日 (金)

めざせ! ウワサのおじょうさま

 昭和60年代のはじめに起こった「お嬢さまブーム」。
 これは、日本テレビ系で放送されたバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の中で、高田純次や兵藤ゆきが、都内有名女子大学やインターナショナルスクール、軽井沢、芦屋、鎌倉、京都などに行き、その場所の知る人ぞ知る“お嬢さま”を面白おかしく探すという「お嬢さまを探せ」(昭和60年6月から放送)のコーナーが人気となったことがきっかけとも言われています。また、今や“お嬢さま”の代名詞ともいえる“白鳥麗子”という名前も、この番組の「女子大生300名にインタビュー お嫁に行きたい名前(昭和60年7月放送)」で“白鳥”が第1位になったことから、実在する“憧れの白鳥麗子さん”を探しにいったことで知られるようになり、その後漫画やCMのキャラクターにも名付けられました。

 番組の中で紹介される“お嬢さま”たちは、美人でお金持ちで上品な人たちばかりだけれど、テレビを見ている少女たちにとってはおとぎ話の中のお姫さまや芸能界のスターよりも身近な憧れの存在となりました。

 そんな中、『なかよし』では昭和61年9月号のふろく全てを「ついにでました! うわさのおじょうさま10大ふろく」として、“お嬢さま”をめざす少女たちを全力でサポートしたのです。


 写真(1):なかよしおじょうさまタイムス
 写真(2):ななちゃん シャワーキャップ
 写真(3):ななちゃん ポストカード
 写真(4):ななちゃん海ちゃん おじょうさまポーチ
 写真(5):ひみつリップギフト
 写真(6):おじょうさま電話メモ
 写真(7):わんころべえ ドッキドキおじょうさまテスト
 写真(8):ほんのりおじょうさまティッシュ
 写真(9):おじょうさまクラブメンバーズカード
 写真(10):ごきげんようおじょうさまシール

 シャワーキャップは「おしゃれおじょうさまのとっておきグッズ」、ポストカードとひみつリップギフト、ごきげんようおじょうさまシールは「ちゃめっけたっぷりおじょうさまをめざすあなたにぴったりのふろく」、そして「おじょうさまのことならこれですべてOK! これを読んであなたもイッキにおじょうさま! おじょうさまタイムスを読んだあとに、おじょうさまテストをやってみて。きっとあなたはカンペキおじょうさまのはず!」といたれりつくせりです。

 お風呂でシャワーキャップを使い「鏡を見て、ああわたしはおじょうさまと見とれてしまう」とお嬢さまになりきって楽しんでいる少女がいる一方で、おじょうさまテストで「けっしておじょうさまとはいえない」と厳しい結果が出てしまったが「おじょうさまタイムスで、いっしょうけんめいおじょうさまについてのおべんきょーをしている。こんなわたしですが、はれておじょうさまになれるでしょうか?」と悩める少女も。

 しかし、「おじょうさまタイムス」によると、『なかよし』が提唱する“86年版おじょうさま”とは、これまでの“美人でおしとやかでお金持ち”なイメージの“お嬢さま”はもう古く、「勉強もスポーツも大スキ。友だちやボーイフレンド、たくさ~んいます。とびきり明るくて元気いっぱいなの!」だそう。

 毎日を明るく楽しく元気に過ごしていれば、きっと誰だって“おじょうさま”になれるんですよ。

〈参考文献〉
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』日本テレビ放送網株式会社 1986年

2015年8月14日 (金)

ふろくでファイト!

 昭和60年代を迎えるころ、“女子プロレス”が再び少女たちを熱狂させました。昭和51~53年ごろに大ブームを巻き起こした「ビューティ・ペア」以来、試合会場は若い女性ファンで埋め尽くされ、ゴールデンタイムにテレビ放送されるほどの人気となったのです。

 そのブームの中心は、ライオネス飛鳥と長与千種のコンビ「クラッシュ・ギャルズ」。昭和58年に結成され、翌59年には「ビューティ・ペア」同様レコードデビューもしています。昭和60年にはブームがさらに加速し、正義のヒロイン「クラッシュ・ギャルズ」と悪役グループ「極悪同盟」(ダンプ松本、ブル中野ほか)+悪徳レフェリー・阿部四郎との闘いは、大きな見どころとなりました。

 そんな女子プロレスの熱いファイトを疑似体験できるふろくが登場します。

 クラッシュ対極悪同盟 レスリングゲーム(なかよし 昭和61年3月号)


 13cm四方の厚紙に穴が2つあいていて、「クラッシュ・ギャルズ」と「極悪同盟」との試合を『なかよし』連載漫画のキャラクターが応援しているというデザインです。ウラには2組のプロフィールも書かれてあって、女子プロレスを知らない子への心配りもなされています。「思わず燃えあがっちゃうオモシロさ。お友だちとあなたの親指を穴に入れて、相手の親指をおさえこむの。十秒おさえこむと勝ちなど、ルールをきめてやってみましょう!」「親指を穴に入れて、相手の親指をおさえこんだほうが勝ち。お友だちと勝負!」という説明どおり、指ずもうで女子プロレス気分を味わってみようというふろくです。少女たちからは「おねえちゃんとおかしのとりあいになっちゃったとき、これで勝負! テレビでプロレス見てるときみたいに燃えちゃった」というおたよりも届き、ふろくでも熱いファイトを楽しんでいたようです。

 美しさや華やかさだけでなく、“強さ”や“カッコよさ”も少女たちの憧れの対象となることは、かつての「ビューティ・ペア」ブームからも見てとることができます。ただ、「クラッシュ・ギャルズ」がブームとなった昭和60年ごろは、男女雇用機会均等法が制定・施行されるなど、女性も男性と同等に社会の中で戦っていかなければ、女性も強くなければという時代を迎えつつありました。そんな時期に“女子プロレス”が女性の人気を集めたのは、強さやカッコよさへの憧れにプラスして、戦う女性への共感もあったからではないでしょうか。

〈参考文献〉
『女子プロレス60年史』(株)ベースボール・マガジン社 2014年
『週刊昭和タイムス 22号』(株)ディアゴスティーニ・ジャパン 2008年

2015年7月29日 (水)

シ・ゲ・キ的☆カレンダー

 年の初めの恒例ふろくといえば、まんが家の先生方のステキなイラストを1年間楽しめるカレンダーですが、

1986 KISSカレンダー(なかよし 昭和61年1月号)

 は、なんと「ダイタン、カゲキ、ロマンチックなキスがいっぱいのビッグカレンダー!」のコピー通り、前年の12月分+2か月ごとに1枚=7枚のイラストすべてがカップルのキスシーンというドキドキもの。ちょっぴり背伸びをして大人の世界をのぞいてみたい、そんな少女たちの好奇心をくすぐるシ・ゲ・キ的なふろくです。


 大人になってから改めて見ると「小学生女子がこんなモノを部屋に飾るなんて! けしからん!」などとつい思ってしまいます。ですが、自分の小学生時代を振り返ってみると、『なかよし』の漫画を読んで、「おまえが好きだ」→「私も好き」→抱き合う→キス→ハッピーエンドというお決まりコースに胸をときめかせ、「いつか私も……」とこんなシーンに憧れていたこともありました。「けしからん!」はきっと、その時のことを思い出してしまった気恥ずかしさの裏返しなのでしょうね。

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