カテゴリー「昭和40年代の花園」の3件の記事

2017年5月30日 (火)

オシャレ街〈タウン〉を持ち歩こう

 青空が広がり吹く風もさわやかな休日は、つい街へ出かけたくなってしまいます。
 新しいお店や話題の食べ物、グッズやイベントの情報が巷にあふれる現在、少女たちもテレビやネット、雑誌などからそれらの“街ネタ”を拾って友だち同士で気軽に出かけ、“街遊び”を楽しんでいるようです。

 しかし、“街遊び”が若者たちの間で一般的になり始めた昭和40年代、少女たちにとっては休日に街へお出かけすることは、まだまだ特別なお楽しみの一大イベントでした。
 いつもよりちょっとよそ行きの服を着て、バスと電車に乗ってお母さんと都心のデパートへ。人の多さにビックリしたり、大きくてキレイな建物にドキドキしたり。おもちゃ売り場を横目で見ながらお母さんの買い物にちょっぴりガマンして付き合った後のごほうびが、大食堂のお子さまランチや屋上の乗り物でした。この時代のデパートは、子どもたちだけでなく家族みんなが楽しめる、何でもそろったエンターテインメント、いわゆるテーマパーク的な存在としてにぎわいを見せていたのです。

 昭和45、46年にファッション、食、旅、ショッピング情報満載の女性誌『anan』(平凡出版/現マガジンハウス)と『non-no』(集英社)が立て続けに創刊、昭和47年には映画館の上映スケジュールをはじめ、演劇、コンサートなど東京近郊で開催されるさまざまなイベント情報を紹介する情報誌『ぴあ』(ぴあ)が創刊するなど、若者たちに“街ネタ”を提供するメディアが続々と誕生します。これまで自ら街に足を運んで得ていた最新の情報を、離れたところからも手に入れられるようになったのです。
 また、同時期に銀座、新宿などで歩行者天国が開始され、家族連れやカップルでにぎわったり、マクドナルド1号店が銀座にオープンしたりと、街から発信するニュースに人々の注目が集まるようにもなりました。こうして多くの若者たちが“街遊び”にやって来るようになり、旬な“街ネタ”をいち早く手に入れ、たくさん知っていることがオシャレでカッコイイという風潮も生まれていきます。

 もちろん少女たちもテレビやお姉さんたちの雑誌を見て、「あのお店にいきたいな」「あのグッズが欲しいな」「あれ食べたいな」などと、オシャレな街の風景に胸をときめかせますが、子どもたちだけで自由に街へ出かけるのはなかなか難しいことでした。
 そんな少女たちに、憧れのオシャレ街〈タウン〉をいつも身近に持ち歩けちゃうふろくが届けられたのです。

 「ファッショナブルイラストバッグ(りぼん 昭和50年9月号)」は、両面が新宿、銀座、横浜、青山・六本木のタウンマップになっている、抱えて持つタイプで42×28cmの大型紙袋です。

 写真左:新宿、横浜の面
 写真右:銀座、青山・六本木の面

 駅や通りの名前のほか、有名デパートやファッションビル、若者に人気の飲食店、観光スポットがかわいくカラフルに描かれています。有楽町に都庁があったり、新宿に三越があったりするところはこの時期ならでは。バッグとして物を入れて持ち歩くだけでなく、“街遊び”の地図としても使えそうな実用性のあるふろくで、憧れのお店に行ったつもりになったり、その街で遊んでいる気分も味わえます。

 このふろくを初めて見たときに、「サンリオのギフトゲートでも昔、同じような地図の紙袋を使っていたような気がする」と、過去のおぼろげな記憶が浮かび上がってきました。
 昭和46年にサンリオショップ「ギフトゲート」の1号店が新宿にオープンし、その後1970年代に新宿、銀座、大阪といったギフトゲート各店舗へのイラストマップをデザインした紙袋や包装紙を使用していたそうです。周りにはおなじみのお店など街の情報も盛り込んでいます。生まれたばかりの「ギフトゲート」を知ってもらいたい、また来てもらいたいという思いのほかに、周辺の街情報を提供することで“街遊び”を楽しみためのツールとしても使ってほしいという思いも込められていたのでしょうか。もし、このショップ袋が昭和50年よりも前から使われていたのなら、ここからも多少の影響を受けて生まれたふろくだったのかもしれませんね。
 また、サンリオショップの袋や少女漫画誌のふろくにタウンマップのデザインが取り入れられたということは、大人の女性だけでなく、もう少し下の世代の女子や少女たちにも街情報のニーズがあり、幅広い世代が“街遊び”に興味を持つようになったことの現れともいえるのです。

 「ファッショナブルイラストバッグ」は昭和50年のふろくですが、“街ネタ”や“街遊び”が若者たちの間に本格的に広まった、昭和40年代という時代の空気をダイレクトに感じられるため、「昭和40年代の花園」のほうへ分類しました。
 人気漫画家や人気キャラクターを前面に押し出しているわけではない薄い1枚の紙袋ですが、この後に全盛となる雑誌生まれのスターふろくの時代とちょうど境界線にあたる時期のものということで、時代を映す貴重なふろくの一つといえるのではないでしょうか。

〈参考文献〉
『週刊昭和タイムス 13号』(株)ディアゴスティーニ・ジャパン 2008年
『週刊昭和タイムス 2号』(株)ディアゴスティーニ・ジャパン 2007年
『週刊昭和タイムス 4号』(株)ディアゴスティーニ・ジャパン 2007年
『1970年大百科[ハンディ版]』JICC出版局 1990年
『MOE』2016年4月号「サンリオが大好き!」 白泉社

2016年3月 5日 (土)

人気者とピンポン☆

 「世界卓球2016 マレーシア」もいよいよ大詰め。これを書いている今、日本男子チームが女子チームに続けと、39年ぶりの決勝進出をかけて手に汗握る熱戦を繰り広げているところです。

 日本に卓球が伝わったのは1902年のこと。イギリスに留学していた坪井玄道が卓球の道具を持ち帰り、紹介したことが始まりといわれています。まもなく全国の学校で取り入れられ、1931年には「日本卓球会」(のちの「日本卓球協会」)が設立、その後、全日本選手権などさまざまな大会が行われるようになり、人々の間に広まって行きました。
 1952年の世界選手権では初参加にもかかわらず、男子シングルス、男子ダブルス、女子団体、女子ダブルスの4種目で優勝するという快挙をなしとげます。1956年には日本で初めての世界選手権を東京で開催、1960年代にかけて、日本卓球は世界選手権で多数のタイトルを獲得し、世界に名だたる卓球王国としての地位を確立しました。
 国内でも空前の卓球ブームが巻き起こり、1960年代には全国に1万軒以上も卓球場があったそうです。また、全国の温泉旅館でも遊技場に卓球台が置かれ、浴衣とスリッパで行える、娯楽としての“温泉卓球”が人気を呼びました。

 老若男女を問わず、誰もが卓球に親しんでいたこの時代、少女たちにも卓球を楽しんでもらおうと、本物そっくりの「ピンポンセット」が届けられたのです。

 写真:ビバ! ピンポンセット(りぼん 昭和43年11月号)

 人気漫画のキャラクターが描かれたペア・ラケット、組み立て式のスタンドがついてどこにでも立てられるビニール製のネット、直径2cm弱のよく弾んで長持ちするピンポン玉、優勝者にあげるGS〈グループサウンズ〉の人気スターの写真付きトロフィー、スコアカードと充実のセット内容。教室や家にある机を使って、友だちや家族とたっぷり遊べるセットです。

 人気漫画のキャラクターと、当時絶大な人気を誇っていたGS〈グループサウンズ〉(9.スターはいつまでもスター 参照)と、少女たちの大好きなスターが両方登場しています。
 雑誌生まれのスターと街の人気スターとが共演するこのふろくは、雑誌生まれの3大スターが輝きを見せはじめるこの時期ならではのものでしょう。

 「11月号についたピンポンセット、うれしかったわ。しんせきの子どもたちが大ぜいあつまった日に、みんなで試合をしたの。あたし? えへへ…… まけたの」
 このおたよりからも、少女たちがこのピンポンセットで卓球を楽しんでいる様子がうかがえます。

 しかし、1970年代以降は中国やヨーロッパ諸国の台頭でトップの座を奪われるようになり、国内での人気も衰退していきます。
 あるタレントが卓球のことを、当時の流行語を使い「根暗なスポーツ」を称したこともあってか、地味なスポーツという何かとネガティブな印象を与えがちでした。
 小学生時代に課外活動で卓球クラブに入っていて、周りの人よりちょっとだけ得意な数少ないスポーツがそんなことになってしまい、自分としては悲しい時期だったのです。

 ところが2000年ごろから、『行け!稲中卓球部』『ピンポン』といった卓球漫画が人気になったり、ビールや梅酒のCMに卓球が登場して話題になったり、さらには少女時代の福原愛選手がメディアに頻繁に取り上げられたりと、再び卓球が人々の注目を集めるようになってきました。そして、2012年のロンドンオリンピックで、日本女子チームが銀メダルを獲得。今回の世界卓球がTVで(ほぼ)ゴールデンタイムに生中継されるなど、近年、日本の卓球はさらなる盛り上がりを見せているようです。

 『なかよし』では2015年5月号より、『ピンポンドライブ』という卓球漫画が連載されています。少女漫画雑誌からスポーツ漫画が姿を消しつつある現在、毎月楽しみにしている作品です。

〈参考文献〉
『スポーツなんでも事典 卓球』こどもくらぶ 編 ぽるぷ出版 2007年
『卓球まるごと用語辞典』藤井基男 著 卓球王国 2007年
『ピン本 極楽卓球のススメ』立川竜介 総和社 2000年

2015年8月24日 (月)

ふろくでアタック!

 ただいま、ワールドカップバレーボールが絶賛開催中! 来年のリオデジャネイロ五輪出場権をかけて連日熱戦が繰りひろげられています。果たして、全日本チームの勝負のゆくえはいかに――

 昭和40年代を迎え、日本中に空前のバレーボール・ブームが起こります。そのきっかけは何といっても、全日本女子バレーボールチームが昭和39年の東京オリンピックでソ連を破り、日本女子チームとして初めての金メダルに輝いたことでしょう。決勝戦が行われた10月23日のオリンピックTV中継の平均世帯視聴率は66.8%と、スポーツ中継歴代1位の座をいまだに守り続けています。さらに昭和43年のメキシコオリンピックでも銀メダルをとり、“東洋の魔女”という呼び名で、その強さを世界中に知らしめていた時代だったのです。“東洋の魔女”の活躍は日本中の女性に夢と勇気を与え、バレーボールは少女たちにとってあこがれのスポーツとなりました。

 そして昭和43年には『サインはV!』(週刊少女フレンド/昭和44年6月より実写ドラマ放送)や『アタックNo.1』(週刊マーガレット/昭和44年12月よりTVアニメ放送)などの、バレーボールを題材にした漫画やTVの作品も生まれています。『りぼん』でも井出ちかえ先生の『ビバ・バレーボール』が昭和43年9月号より連載されました。

 このバレーボールブームにのって、

 別冊カラーシリーズ ニチボウバレー物語(りぼん 昭和40年5月号)
 バレーボールゲーム(りぼん 昭和45年1月号)
 サインはV! ビクトリーゲーム(なかよし 昭和45年5月号)
 別冊 なかよしコミックデラックス版 サインは
V!(なかよし 昭和45年8月号)

 といった、バレーボールを楽しめるふろくが登場していますが、中でも

 バレーボール手帳(りぼん 昭和44年9月号)は、

 「バレーのことなら何でもわかるすてきな手帳」のコピーどおり、手のひらサイズの手帳の中に、バレーボールの歴史やルール、ユニフォームファッションイラストのほか、トレーニング法、練習予定表、チームの対戦成績、体調管理のために身長・体重記録表など、まるで部活日誌のような充実した内容です。バレーボールが大好きで自分でもやっている子にはもちろん、まだバレーボールのことがよくわからない子にも、とても役に立つふろくとなったことでしょう。

 世の中で人気があるものをダイレクトに表現した、昭和40年代ならではのふろくのひとつですね。

 余談となりますが、昭和30年代からの少女向けふろくを調べていて、3つの“バレ”があることに気付きました。まず昭和30年代から40年代半ばにかけての踊る“バレエ”。当時は“バレー”と表記されることも多かったのです。次に昭和40年代の“バレーボール”、そして3つ目は、昭和50年ごろから現れはじめた“バレンタイン”関連のふろくです。ただのダジャレっぽくもありますが、「少女ふろくの3大“バレ”」と名付けて、こっそり楽しんでいます。

〈参考文献〉
『日の丸女子バレー ニッポンはなぜ強いのか 』吉井妙子 著 文藝春秋 2013年
『週刊昭和タイムス 1号』(株)ディアゴスティーニ・ジャパン 2008年
『日本のアニメ全史』山口康男 編著 テン・ブックス 2004年

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