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2015年7月 4日 (土)

ふろくの花園 19.雑誌が生んだ人気者 (2)憧れの先生・まんが家

 昭和40年代に入り、少女“漫画”雑誌へと姿を変えつつある『なかよし』と『りぼん』。昭和42年に「りぼん新人賞」が創設され、また昭和44年には「なかよしまんがスクール」がスタートするなど、雑誌が主催する新人まんが賞やまんがスクールから次々と作家がデビューします。昭和40年代後半には、漫画雑誌の要となる漫画作品を生み出す“まんが家”たちが各誌に揃いだし、雑誌独自の持ち味・個性を発信する準備が整っていきました。

 そして昭和50年代を迎えるころから、それぞれの雑誌で執筆していたまんが家たちが雑誌生まれのスターとして、テレビの人気スターのように前面に押し出されていったのです。

 すでに人気を得て活躍している作家だけでなく、デビューして間もない新しい作家も多かったこの頃のふろくは、ショートギャグ・メルヘン枠のマスコットキャラクターや超人気連載を除いて、漫画の登場人物よりもまんが家の名前のほうを主に印象付けていました。「うちの雑誌にはこんなスターがいるんだよ」と、まず名前や絵柄を知ってもらうためだったのでしょう。

 通常は“先生”とよばれているまんが家ですが、その呼び方は低学年の少女にとっては、ちょっと堅苦しくて距離のある存在という印象を与えてしまうかもしれません。そこで各誌は、まんが家たちを下の名前で“○○ちゃん、○○ちゃま、○○タン”などと呼んだり、ニックネームをつけたりすることで、友だちのような親しみやすさを感じさせたのです。

 『なかよし』では、たかなししずえ先生→しい、高橋千鶴先生→ちるる
 『りぼん』では、太刀掛秀子先生→デコタン
 『ちゃお』では、三浦浩子先生→ロコ、池田さとみ先生→トミー、佐香厚子先生→アコ、河野やす子先生→ヤッコ
 『ひとみ』では、イケスミチエコ先生→チーコ、大谷てるみ先生→テリー、田中雅子先生→MAA〈マー〉、英洋子先生→ヨッコ、曽根富美子先生→ふ~みん
 などのニックネームがありました。

 創刊されたばかりの『ちゃお』と『ひとみ』は、やはり新しい雑誌のスターたちを早く知ってもらいたかったのでしょう。「ヤッコのメルヘンケース(ちゃお 昭和54年12月号)」「トミーのタウンバッグ(ちゃお 昭和55年6月号)」「MAA〈マー〉ちゃんのイラスト&ポエムパネル(ひとみ 昭和53年9月号)」「テリーのガリ勉時間わり(ひとみ 昭和54年4月号)」のような、まんが家のニックネームをつけたふろくがよく目につきました。

 また、“○○先生のグッズ”であることを強調する表現のひとつとして、「ちるるチックメルヘンバッグ(なかよし 昭和53年11月号)」「ヨッコチックフィーリングバッグ(ひとみ 昭和54年10月号)」といった“おとめちっく”や“ロマンチック”にならった、“○○(まんが家名)+チック(~的な、~らしい)”という言葉もふろくの名前に使われていました。

 こうして、雑誌発のスターとなっていったまんが家たちですが、テレビのスターと違いまんが家自身がグラビアになることはまずなかった時代でもあり、少女たちは「どんな人がこの漫画を描いているんだろう?」とその姿が見えない神秘性にも憧れを抱いていました。そんな少女たちのために、まんが家の情報を載せたふろくが届けられます。「なかよしまんが新聞 まんが家大百科特集号(昭和51年6月号)」「なかよしまんが新聞 まんが家のひみつ大特集号(昭和54年12月号)」「りぼんコミックノートブック(昭和53年1月号)」「ちゃおまんが家新聞(昭和55年12月号)」などには、憧れのあの先生の生年月日を含むプロフィールや近況報告はもちろん、なんと顔写真まで公開されていました。


 さらに、人気まんが家の生声メッセージが聴けるふろくも登場します。「人気まんが家DJ〈ディスクジョッキー〉レコード(りぼん 昭和46年5月号)」「人気まんが家 声のおたよりレコード(なかよし 昭和55年5月号)」は、どちらも5分程度の赤いソノシートです。


 「人気まんが家DJ〈ディスクジョッキー〉レコード」は題名どおり、一条ゆかり先生、井出ちかえ先生、もりたじゅん先生の3人の人気まんが家が、当時流行していたラジオのDJ番組風に曲紹介やポエム風近況報告、人生相談などをノリノリのトークで進めていきます。
 「人気まんが家 声のおたよりレコード」は、いがらしゆみこ先生、たかなししずえ先生、高橋千鶴先生、原ちえこ先生、牧村ジュン先生、あさぎり夕先生、佐藤まり子先生の7人の人気まんが家が、優雅なワルツ風の音楽にのって近況報告をしていきます。特に原ちえこ先生の「失恋したときに髪をバッサリ切るということをしてみたくて、髪を少しずつ伸ばしている。しかし、失恋をするためにはまず恋をしなくてはいけないことに気が付いた」というメッセージは、なかなか深いものを少女たちに伝えています。
 『なかよし』『りぼん』両誌の人気まんが家の生声メッセージが吹き込まれたソノシート。少女たちはこれを聴くことで、漫画の向こうにいるスターたちの素顔を少しだけでも垣間見ることができたのでしょう。

 テレビのスターと同じように少女たちの心をつかんでいったまんが家たちですが、テレビのスターにとってのブロマイドにあたるものは、まんが家自身の写真ではありません。まんが家にとってのそれは、なんといってもイラストなのです。
 「人気まんが家デラックス原画集(なかよし 昭和54年7月号)」「りぼんギャラリー12(りぼん 昭和55年7月号)」は、雑誌と同じ大きさの上質な紙に印刷された1枚ずつの複製原画集で、少女たちはその美しさをただ部屋に飾って眺めているだけではなく、お気に入りのイラストを、好きなスターの切り抜きと同じように透明のカードケースに入れて学校に持って行き、下じきとして使ったりもしていました。テレビのスターもまんが家の先生も、少女たちにとっては同じスターであったことがよくわかりますね。


 そして、人気まんが家が描いた漫画を読んで、「自分もこんな漫画を描きたい、まんが家になりたい」と憧れをつのらせる少女たちも当然のように現れます。
 朝日新聞 昭和45年11月2日の朝刊記事『現代っ子の「なりたい職業」は…』によると、東京のあるおもちゃメーカーが全国の小学校4年生~中学2年生1000人を対象に「将来なりたい職業」についてアンケート調査をした結果、“まんが家”が女の子のなりたい職業の7位に入っています。これについて「まんが全盛時代の反映か」というコメントがあり、この頃からすでに“まんが家”が子どもたちに職業として認知されていたことがわかります。昭和50年代後半に書かれた自分の小学校の卒業アルバムを調べてみても、クラスに2人ぐらいは将来の夢に“まんが家”をあげていて、子どもの憧れの職業として代表的なものになったといえるでしょう。

 雑誌から生まれ、雑誌の持ち味・個性を確立していく“まんが家”というスター。そのスターに憧れてまんが家をめざす少女たちがまた次のスターになる……
 子どもたちの生活に今や欠かせなくなった“漫画”という文化は、こうして広がっていくのです。

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