ふろくの花園 15.新規参入-『ちゃお』の場合
昭和50年代前半、少女漫画雑誌は創刊ラッシュ期を迎えました。作家も読者も増加したこの時期、様々な嗜好や要望によりきめ細かく応えるために、世代・ジャンル分けされた漫画雑誌が数多く誕生しています。その流れに乗るかのように、『りぼん』と『なかよし』が美しさやバリエーションを競い合っていた“ふろくの花園”にも、2つの新しい仲間が加わることになりました。
まずは、昭和52年10月号が創刊号の『ちゃお』。“女の子が初めて出会う少女まんが誌”として、『小学○年生』でおなじみの小学館から発行されました。
創刊当初の作家は、上原きみこ先生、鈴賀レニ先生、樫みちよ先生、河野やすこ先生、三浦浩子先生ほか。“初めてまんがを見る子でもわかるまんが”を掲げていたのですが、中には現実的でシビアな、泥臭い人間関係を描いた作品もあり、同時期の『りぼん』をおとめちっくな雰囲気重視の「トレンディドラマ」、『なかよし』をスケールの大きな読ませる物語「大河ドラマ」だとすると、『ちゃお』は「昼の連ドラ」に例えられるかもしれません。
創刊号のふろくは以下の7点です。
・ファンシーケース
・ロングロングシール
・ラブラブノート
・アドレス表つきマスコットバッグ
・かべかけスイートメモ
・相性テストカード
・生まれ月による恋のうらないブック
このように『りぼん』『なかよし』の2大巨頭に割って入るかたちで創刊された『ちゃお』なのですが、実は創刊から10年ほどの間にふろくのスタイルを三度も変えるという、波瀾万丈の道のりをたどってきたのです。
創刊当初の『ちゃお』のふろくは、他誌にならったノート、レターセット、紙袋などの定番品ともいえる実用小物数点なのですが、複雑な組立を必要としない、すぐに持ち歩けるケースや小物入れ、ファイルを毎号のように登場させています。大学ノートサイズの「ジョイジョイケース」と文庫本サイズの「コンパクトケース」(ともに昭和54年5月号)や、六角形の「ハッピーサマーケース(昭和54年8月号)」、ひみつの入り口がついた「ファインケース(昭和54年9月号)」など、同じようなモノが続いても形や大きさを変えて、少女たちを飽きさせないよう工夫をこらしていました。
また、占い・料理・手芸・おしゃれをとりあげた実用記事やアイドル・お笑いなどの芸能情報を別冊として、一生使える星占いのきわめつけ「愛の星占い百科(昭和
55年2月号)」、おしゃれと手作りとクッキングの大特集「手作り大特集ティーンズHAPPYライフ(昭和55年5月号)」、美しくなるための秘訣がギッシリの「愛のおしゃれ百科(昭和55年7月号)」などのふろくにすることで、少女たちが生活の幅を広げられるように心配りがなされていました。
特に、昭和53~57年の4年にわたって、12月に発売される1月号のふろくになった「ヒットソングブック」は、友だち同士のクリスマスパーティーや新年会に役立つだけでなく、年末年始に家族そろってレコード大賞と紅白歌合戦を楽しむこともできるという、世代間をつなぐコミュニケーションツールでもあったのです。
“完成度の高さ”と“生活範囲の拡大”に重点をおいたふろくで、『りぼん』『なかよし』との差別化を図ってきた『ちゃお』ですが、創刊4年目を過ぎたころから少しずつ陰りが見えはじめました。
同時期の『りぼん』『なかよし』のふろくが、大型組立ボックスや新しい素材を使用したバッグなど新しい発想やダイナミックさを感じさせる一方で、『ちゃお』のふろくはカードやカセットレーベル、シール、ポスターなど平面的で動きのないものが目立つようになり、毎月の点数も
3点ほどに減ってくるなど明らかに質が落ちてきていました。発行部数も『りぼん』『なかよし』は100万部をはるかに超えていましたが、『ちゃお』はその半分以下の
50万部ほど。時おり、組立ボックスやビニール製のバッグがついても、『りぼん』『なかよし』の後追いというイメージを読者に与えてしまい、どうしても後発誌である感は否めませんでした。
そこで、創刊から8年目を迎えた昭和59年、『ちゃお』のふろくは思いきった方向転換をすることになったのです。
昭和59年9月号より、これまでの実用小物数点というふろくのスタイルから、『マイラブコミックス』という単行本サイズの140Pほどの別冊まんがシリーズ1冊のみになりました。
「ちゃおのまんが大好き。ふろくにもまんがをつけて、読みごたえを増やしてほしい」「シールやボックスもほしいけど、ドーンとぶ厚いまんがの別冊ふろくもつけて」などの、アンケートふろく希望ナンバーワンという読者の声に応えるかたちだったのですが、実のところは、売上げや小物ふろくを作るコストなど商業的な面が大きく影響していたのかもしれません。ただ、作家とまんがに関しては他誌と比べて遜色がないという手ごたえが編集部にはあったようで、思い切って本誌のページを増やし、まんがに力を入れることにしたのです。それでも別冊というかたちでふろくを残したのは、“雑誌にふろくがついている”というお得感を読者に与えたかったからなのでしょう。
「ちゃおのふろくがなくなった!」少女たちの間に衝撃が走りました。
この別冊ふろく1冊のみというスタイルは、その後3年ほど続くのですが、読者からの「以前のふろくのほうがよかった」という声があったからなのか、ノート、レターセット、ポスターなども次第にプラスされるようになり、『マイラブコミックス』は昭和
62年11月号でシリーズ終了となりました。
昭和62年の終わりごろから、『ちゃお』のふろくに紙バッグ、ファイル、ノート、レターセットなどの実用小物が再度登場します。ただ創刊当初とは異なり、あえて点数を 1~3点と絞り、その分上質の紙を使ったり、ノートのページ数を増やしたりと、使用する素材の質を高めました。またデザインや色使いも市販のグッズを意識してか、動物のキャラクターイラストが中心で、少女まんがらしさや子供らしさを極力おさえています。こうして、数は少ないながらも豪華さと大人っぽさを強調することで、他誌とは違う“ちゃおブランド”のふろくを少女たちにアピールしていたのです。
しかし、その“高級志向・少数精鋭主義”も1年ちょっとと長くは続かず、時代が平成に変わるころには、他誌と同じく連載漫画のキャラクターが描かれた文房具数点のふろくスタイルとなり、平成5年ごろからは点数も増えていきました。4年と数か月という短い間に行われた『ちゃお』のふろく戦略も、創刊当初のスタイルに戻ることで終結したのです。
『ちゃお』のメインターゲットは小学校高学年の女子なのですが、実際の読者層はもっと幅広いため、小物ふろくのほうが彼女たちの好みに合わせやすく、特に年少の読者はまだ嗜好が定まっていないこともあり、実用文房具だけでなくおもちゃ的なものまで、様々な種類のものをそろえる必要があります。こまごまとしたふろくがセットされている袋を開けて何が入っているかを見る楽しみもあるため、少女たちにとってはたとえ上質のモノでも、点数が少なければ受け入れられない場合もあるのです。
ふろくのスタイルを創刊から三度も変えるという、目まぐるしくも大胆かつ柔軟なふろく展開は、これまでの伝統にとらわれる必要のない後発誌だからこそとれた戦略なのかもしれません。これらの試行錯誤によって、もともと持っていた読者への心配りに加え、読者である少女たちがふろくに何を求めているのかをつかむことができたのでしょう。
『ちゃお』は現在でも『りぼん』『なかよし』といっしょに、少女たちにふろくを届けつづけています。
〈参考文献〉
『別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界2』平凡社 1991年
『雑誌新聞総かたろぐ(1979年版~2007年版)』メディア・リサーチ・センター 1979年~2007年
※2008年8月に書いたものを投稿しました
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